文化人類学の再生産―慶應義塾大学の場合

鈴木正崇
慶應義塾大学文学部教授


Reproduction of Cultural Anthropology: A Case of Keio University
SUZUKI Masataka


 

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 大学の制度において確固たる位置付けのない文化人類学に関して、慶應義塾大学ではどのような形で教育や研究が行われてきたか、今後はどのような方向性を目指すべきかなどについて考察して、記録に留めることにした。現在のところ、日本では文化人類学を専門に養成する大学や研究機関は極めて限られており、将来的にも同じような状況が続くと見られるので、研究者や学生に参考資料として提示し、今後のあり方も考えて頂くという意図がある。
T、文化人類学の教育研究組織上の位置づけ

(1)文学部
 文学部での文化人類学の研究・教育は、専任者が様々な専攻に分散して所属して行っており、単独の専攻コースはない。研究者は、社会学、人間科学、東洋史、民族学考古学の4つの専攻と諸言語(朝鮮語、スペイン語)に分かれ、相互の連携は個別に行われている。主な研究者として、鈴木正崇・樫尾直樹(社会学)、宮坂敬造・北中淳子(人間科学)、吉原和男(東洋史)、野村伸一(朝鮮語)、山口徹(民族学考古学)がいる。

@社会学専攻
 社会学専攻は、実質的には社会学・社会心理学・文化人類学の3つに分かれ、社会学を基軸としながらも広い視野から人間を考える視野を養うことを目的とする。文化人類学の流れは、石津照璽のシャーマニズム研究や宮家準の宗教民俗学に始まり、吉田禎吾が客員教授について以後、社会人類学も取り込みつつ、宗教学や宗教民俗学から宗教人類学に至る分野を主体とする方向性が定まった。その確立は宮家準に負うところが大きい。
 カリキュラムでは、2年において文化人類学概論が必修科目であり、社会学概論と社会心理学概論をあわせて履修して単位を取得しないと、3年に上がれないので、文化人類学が専攻の共通知識として取得される。文化人類学概論は、現在では、吉田禎吾を引き継いで鈴木正崇が担当している。選択科目では宗教社会学や比較文化論、家族親族論・知識社会学・都市社会学・教育社会学などと共に、社会学特殊や社会学特講として、文化人類学・宗教人類学・社会人類学・民族誌・地域研究・民族音楽・民俗芸能・民俗学などがとれるように工夫されている。
 ゼミは3年と4年の2年間で、鈴木が文化人類学と民俗学、樫尾が宗教社会学を主として担当し、野村が朝鮮と中国を主体とするアジア研究である。卒論では文化人類学や民俗学だけでなく、社会学や宗教学、考現学に関係するものが多く書かれている。宮家は1999年に定年を迎えたが、担当ゼミの学部生の多くは文化人類学や民俗学の卒論を書き、大学院進学も多数を数える。大学院生には他大学からの入学者も多い。

A人間科学専攻
 人間科学は1981年に社会学・心理学・教育学からスタッフを移動して独立した専攻で、荻野恒一による文化精神医学の講義が開設されて以来、文化人類学を取り込むようになった。ゼミは宮坂敬造が文化人類学を担当して医療人類学や比較精神医学を講じ、石井達朗が演劇学やジェンダー論を担当している。2004年4月に医療人類学を専門とする北中淳子が加わった。非常勤講師として、文化人類学関係の研究者を招いている。

B東洋史専攻
 東洋史専攻には伝統的に文化人類学(民族学)や民俗学に関心を持つ者が多く集まった。その基礎を築いたのは松本信廣であり、パリ大学に留学してマルセル・モースに師事すると共に東洋学を広く渉猟した。移川子之蔵や馬渕東一などの人類学者や、柳田國男との交流もあり、比較神話学や東南アジア研究を基礎に、民族学・民俗学・考古学を関連付けた。柳田國男の『雪国の春』の旅には松本が同行していた。柳田は戦前には慶應で講義をしたこともある。松本の影響下から、伊藤清司の日中比較の神話学や少数民族研究、可児弘明による香港の蛋民や華僑の社会史、近森正のオセアニア文化史の研究が展開した。鈴木正崇の中国少数民族の研究もこの影響の下にある。近年では、吉原和男が東南アジアの華僑・華人社会の比較研究を行い、坂本勉がイスラーム巡礼研究で成果を挙げている。松本の業績や人間関係については、追悼論文集『稲・舟・祭』(六興出版、1982)に詳しい。

C民族学考古学専攻
 1979年には、西洋史・東洋史・日本史からスタッフを移動して民族学考古学が専攻として独立し、オセアニアの考古学と文化史を研究する近森正や、ミトラス教の研究を行っていた小川英雄はここに所属した。縄文の考古学が専門の鈴木公雄は、江戸時代の六道銭の研究も行った。民族学は当初は都市人類学の中村芙美、その後はソロモン諸島やクック諸島などをフィールドとする社会人類学が専門の棚橋訓が担当した(2001年4月に東京都立大学に転出)。2004年4月からオセアニア考古学と文化史を専門とする山口徹が民族学の講義を行っている。近年は、考古学への傾斜を強めている。

D国文学専攻
 国文学には民俗学の影響が強く、主軸は國学院大学と兼担で慶應の教授となった折口信夫の芸能史や古代研究であり、池田弥三郎がその学統を堅持し、西村亨に受け継がれ、フィールドとして琉球に関心を寄せる者も輩出した。芸能史の講義は、現在は野村伸一が担当している。慶應は國学院と並ぶ折口研究の二大中心地であった。西村亨編『折口信夫事典』(大修館書店、1988。新版1998)は慶應の研究者を主体とする成果で、『折口信夫全集』[新版](中央公論社、1995〜)の編集には井口樹生を初め、多くの国文学出身の研究者が参画した。池田門下の仲井幸二郎は『民謡辞典』を編集した。慶應高校の皆川隆一は台湾のヤミ族、伊藤好英は韓国の芸能の調査を続けている。大学では藤原茂樹が万葉集の民俗、石川透が奈良絵本や本地物の研究を行なっているが、折口学の影響は弱まりつつある。折口信夫は井筒俊彦(イスラーム学)や西脇順三郎(詩人、英文学)などにも大きな影響を与えた。また、写真家の芳賀日出男は中国文学の出身で、折口信夫に師事して国文学の研究者との交流があり、民俗写真の領域を開拓して民俗学の普及に貢献した。国文学を中心に地人会という研究会があり、池田弥三郎や西村亨を中心として運営され、民俗学や文化人類学に関心を持つ者が専攻や学部生、院生を問わずに参加していたが、現在は中断している。柳田國男も1960年10月には「島々の話」という講演をするなど、伝統を有する研究会だが、再建は難しいと思われる。なお、2005年度から「折口信夫・池田弥三郎記念講演会」を毎年1回10月頃に開催するという企画が始まった。

E日本史専攻・西洋史専攻・英米文学専攻
 日本史では古代史の三宅和朗が神社の研究を行い、史料に基づいて祭祀の変化や実態解明にあたっている。近世史の柳田利夫は、日系人など移民研究を主体としてペルーなど海外との交渉史の研究を進めている。西洋史の山道佳子はスペインの近現代の都市や祭礼の研究を行っている。英米文学の唐須教光は言語人類学の専門で、文化記号論の造詣も深い。

(2)法学部・経済学部・総合政策学部・環境情報学部・理工学部その他
 法学部では政治学科に社会学や地域研究の研究者がおり、アフリカ、インドネシア、オーストラリアの政治や社会の研究が行なわれ、民族問題も取り上げられている。関根政美はオーストラリアを中心とする地域研究、有末賢は都市民俗学・地域社会学・生活史などを専門に研究している。十時厳周の都市人類学や有賀喜左衛門の農村社会学の学風が受け継がれていると言える。法学部には2005年度から、文化人類学を専門として、グアテマラの織物を中心に研究している本谷裕子(スペイン語)が加わった。

 経済学部では社会史の分野に研究者が集まっていて、地域研究を通じて人類学と連携している。主な研究者として、インドネシアの植民地研究の倉沢愛子、ラテン・アメリカの地域研究を進める清水透がおり、共同研究も行われている。中国の伝統演劇・芸能、特に皮影戯(影絵人形芝居)については千田大介が研究している。 

 湘南藤沢キャンパスの総合政策学部では、野村亨がマレーシアの言語や地域研究、小熊英二がナショナリズムや近代日本の民族形成の考察を行っている。環境情報学部では奥出直人がアメリカ南部生活史研究、渡辺靖がアメリカ都市の人類学的研究、山本純一がメキシコ・チアパスの地域研究を進めている。矢上台キャンパスの理工学部のスタッフとしては、演劇やパフォーマンス研究の石井達朗、言語人類学・認識人類学を専攻する井上京子が講座を担当している。メディア・コミュニケーション研究所では、イギリス移民研究やカルチュラル・スタディーズの小川葉子が、ゼミを担当している。

(3)大学院
 大学院の社会学研究科は1951年に創設され、当初から学部を越えて幅広い調査研究を進めることを目的とした。基盤は文学部・法学部・経済学部であるが、学生は経済学部、商学部、法学部、文学部、環境情報学部、総合政策学部からも受け入れ、他の大学からも広く学生が集まる。履修科目は、修士課程は文化人類学演習・同学説演習・同特論・同学説特論、民俗学演習・同特論、歴史民俗学演習・同特論、社会史特論と同演習、博士課程では文化人類学特殊演習と同特殊研究、歴史民俗学特殊演習と同特殊研究、社会史特殊研究と同特殊演習がある。メディアコミュニケーション研究所、東アジア研究所(旧地域研究センター)、言語文化研究所とも関わり、兼担している教員も多い。社会学だけでなく、政治学、文学、経済学などとの自由な交流の下に研究出来ることが特色である。

 修士課程の入試は1次が語学と専門、2次が面接である。後期博士課程の入試は、2005年度入試より、内部からの受験者には試験を免除し、修士論文の評価と面接で合否を決定することになった。但し、外部からの受験者には語学等の試験が課せられ、修士論文の評価と面接が合わせて合否が決定される。国立大学の大学院拡充の影響で、修士課程試験の志願者が減少したり、後期博士課程で国立系大学の大学院へ進学することがあったが、これによって改善が期待される。

 博士号の取得については、後期博士課程の3年修了時に博士論文の研究計画書を出すことが義務付けられ、修了後3年以内に、博士論文を提出し学位を取得すること(課程博士)が目標になっている。但し、計画書は論文を学会機関誌に少なくとも1本、他に紀要などの学術雑誌に1本、最低でも計2本の論文が掲載されていることを条件として提出を認める。この条件を満たさない場合、課程博士ではなく論文博士による審査となる。論文博士での審査は常に開かれており、課程博士に拘泥することはないが、学識認定が課される。

 2007年度の文化人類学・民俗学関係の担当者は、鈴木正崇、宮坂敬造、樫尾直樹、有末賢、関根政美、清水透、倉沢愛子、非常勤講師は和崎春日、中西裕二である。2007年度は特別講義として、アンヌ・ブッシイAnne Bouchy(宗教民俗学。フランス国立極東学院)、アラン・ヤングAlan Young(医療人類学。スタンフォード大学)が予定されている。過去の担当者には松本信廣、中井信彦、櫻井徳太郎、鈴木孝夫、吉田禎吾、佐々木宏幹、末成道男、上田将、浜本満、真島一郎、白川琢磨、宮田登、藤井正雄、福田アジオ、松園万亀男、波平恵美子、阿部年晴、小松和彦、中牧弘允、野本寛一、渡辺公三、真野俊和、新谷尚紀、倉石忠彦、池上良正、大塚和夫、渡邊欣雄などがいる。

 内容は、当初は宗教学や宗教民俗学が主体であったが、次第に宗教人類学に展開した。有賀喜左衛門による家族・村落研究、中井信彦による社会史や柳田國男論も影響を与えた。この大学院の特色は、以上の成り立ちからもわかるように、文化人類学と民俗学を融合していることにある。研究地域はアジアが多く、朝鮮、中国、韓国、ベトナム、タイ、フィリピン、スリランカ、インド、バングラデシュ、ネパール、パキスタンなどであるが、アフリカでもカメルーン、ガーナ、コートディボワール、ナイジェリア、ケニア、ウガンダ、スーダンの研究者がいる。その他として、ミクロネシア、北アメリカ南部、中南米のハイチ、ブラジル、ボリビア、グアテマラ、メキシコの研究者も輩出している。日本研究は民俗学だけでなく、文化人類学の手法を取り込んでいる。民俗学や芸能史と接合して祭祀芸能の研究を行う者や、修験道を主体とする日本の民俗宗教の研究者がいて、海外の民俗宗教、特に東アジアや南アジアとの比較が試みられている。新宗教やスピリチュアリテイ研究も展開している。民俗調査の成果は、『修験集落八菅山』(愛川町、1978)、『修験者と地域社会―新潟県南魚沼の修験道』(名著出版、1981)、『伝統的宗教の再生―解脱会の思想と行動』(名著出版、1983)、『山の祭りと芸能』上・下(平河出版社、1984)、『コスモスと社会―宗教人類学の諸相』(慶應通信、1988)、『奄美伝統文化の変容過程』(国書刊行会、1989)、『宮古市史・民俗編』上・下(宮古市、1995)、『憑依と呪いのエスノグラフィー』(岩田書院、2001)、『鳥海山麓 遊佐の民俗』上・下(遊佐町教育委員会、2006)等で、各地の市町村史の編纂に携わる中で調査方法を覚えるというやり方をとっている。最近では、2003年度から3年にわたり山形県遊佐町の民俗調査を神田より子の指導で行い、多くの大学院生とOBが参加した。現在、科学研究費補助金で「空間の表象に関する宗教民俗学的研究」(2006.4.1〜2008.3.31)というテーマで、OB中心の調査が進行中である。また、福岡県篠栗町では、フランス国立極東学院との共同研究「内と外の力学」(代表者:アンヌ・ブッシイ)を推進し、鈴木・中山・神田などは、巡礼・巫女・修験・祭礼などをテーマにして調査を継続中で、2011年まで続く予定である。

 修了後の進路としては、多数の者が大学や研究機関で職を得ている。その状況は宮家準編『民俗宗教の地平』(春秋社、1999)で把握できる。主な就職先は、東京大学、東京外国語大学、東京都立大学(首都大学東京)、お茶の水女子大学、信州大学、埼玉大学、広島大学、名古屋大学、京都大学、徳島大学、弘前大学、長崎大学、国立歴史民俗博物館、東北学院大学、四国学院大学、福岡大学、広島修道大学、関西学院大学、専修大学、駒澤大学、近畿大学、神奈川大学、日本女子大学、江戸川大学、敬和学園大学、常盤大学、明星大学、大東文化大学、大妻女子大学、杏林大学、共立女子大学、高崎経済大学、神奈川工科大学、日本橋学館大学、武蔵野美術大学、国士舘大学、東横学園短期大学、萩国際大学、鹿児島女子大学、名古屋商科大学、高千穂大学、北海道東海大学、小松短期大学、金沢星陵大学等である。但し、今後もこの傾向が続くかどうかは確証できない。

 大学院の文学研究科は主に東洋史、民族学考古学、国文学などの専攻から学生を受け入れ、外部からの受け入れも多い。文化人類学の専攻者の所属は史学専攻となる。現在の担当者として、吉原和男(東洋史特殊講義)と坂本勉(東洋史特殊講義演習)がおり、国文学専攻に野村伸一(芸能史)がいる。過去には松本信廣、伊藤清司、可児弘明、岩田慶治、大林太良、石川栄吉、高橋統一、野口武徳などが担当した。奄美の民俗調査を実習として行ったこともある。社会学研究科と比べると、就職者は多いとは言えないが、鈴木正崇は東洋史の博士課程終了後に、東京工業大学工学部人文社会群の助手を経て、社会学専攻の専任者となった。

 社会学研究科と文学研究科との交流は、大学院生の間では、民族学・考古学、東洋史、日本史、国文学専攻との交流がある。広く文化人類学に興味を持つ者の集まりとして、慶應義塾大学人類学研究会があり、研究会や講演会を適宜行なっている。民俗学の研究会である木曜会では他大学の院生などとの交流を進めてきた。

(3)研究所
@東アジア研究所
 学部を越えた共同研究の拠点として、1984年4月に設立された地域研究センターが、国際シンポジウムや公開講演会、ワークショップや地域研究講座を主催し、文化人類学に関わる研究も多数進められてきた。初代所長は小田英郎(アフリカ研究)で、以後は山田辰雄(中国研究)、小此木政夫(朝鮮研究)、国分良成(中国研究)が所長を務めた。2003年10月1日に慶應義塾大学東アジア研究所に名称を変更して、国分良成が初代所長を務めることになった(http://www.kieas.keio.ac.jp/)。2005年には、国際シンポジウムとしては、『日中関係の再構築へ向けて―課題と提言』(2005年1月)、『日露戦争開戦100年』(2005年5月)が行われた。隔年ごとに東アジア研究講座を開催し、2004年には「世界の中の東アジア」(コーディネーター:国分良成)と題して11回の公開講演が行われ、講演記録は国分良成編『世界のなかの東アジア』(慶應義塾大学出版会、2006)として出版された。2006年には「東アジアの近代と日本」(コーディネーター:鈴木正崇)と題して12回開催され、講演記録は、慶應義塾大学出版会から近く出版される予定である。2006年4月からは、研究プロジェクト「東アジアにおける宗教文化の再構築」(代表者:鈴木正崇)が始まり、定期的に研究会を公開で開催している(2008年3月まで)。

 人類学関係の主な成果としては、近森正『クック諸島の研究―人間と先史社会』(慶應通信、1991)、可児弘明『香港および香港問題の研究』(東方書店、1991)、可児弘明編『華南―華人・華僑の故郷』(慶應通信、1992。『僑郷 華南―華僑・華人研究の現在』行路社、1996として再刊)、地域研究センター編『民族・宗教・国家』(慶應通信、1994)、宮家準・鈴木正崇編『東アジアのシャーマニズムと民俗』(勁草書房、1994)、柳田利夫編『アメリカの日系人』(同文館、1995)、鈴木正崇・金子量重・坂田貞二編『ラーマーヤナの宇宙―伝承と民族造形』(春秋社、1998)、可児弘明・国分良成・関根政美・鈴木正崇編『民族で読む中国』(朝日新聞社、1998)、鈴木正崇・野村伸一編『仮面と巫俗の研究―日本と韓国』(第一書房、1999)、吉原和男・鈴木正崇・末成道男編『<血縁>の再構築―東アジアにおける父系出自と同姓結合』(風響社、2000)、山本英史編『伝統中国の地域像』(慶應義塾大学出版会、2000)、吉原和男・鈴木正崇編『拡大する中国世界と文化創造―アジア太平洋の底流』(弘文堂、2002)、野村伸一編『東アジアの女神信仰と女性生活』(慶應義塾大学出版会、2004)、The Chinese Expansion and the World Today,Center for Area Studies,1996などがある。定期的に発行しているCASニューズレター(1号〜122号)には、研究会の報告、各地の調査報告、文献紹介が掲載されている。2003年10月以降は『慶應義塾大学東アジア研究所ニューズレター』と改称して発行されている。

A言語文化研究所
 言語と歴史の研究を行う言語文化研究所は、前身を「慶應義塾大学語学研究所」と言い、西脇順三郎が首唱して、1942年(昭和17年)に設立された。1962年に改組し、初代所長は松本信廣、専任の教授は井筒俊彦(イスラーム学)と辻直四郎(インド学)であったが、次第に専任者も増えて今日に至る(http://www.icl.keio.ac.jp/)。国際的にも注目を浴び、成果は紀要をはじめ、研究所の刊行物として公刊され、言語学コロキアムなど公開講座も行なっている。語学の講座として、古典語としてギリシャ語とラテン語、アラビア語・トルコ語・ペルシャ語などイスラーム圏の言語、タイ語・カンボジア語・ベトナム語・インドネシア語などの東南アジアの諸言語、サンスクリット語、朝鮮語、最近ではヘブライ語も開設された。井筒俊彦や前嶋信次などのイスラーム研究と松本信廣のインドシナ研究を母体とし、アラビアの宗教や言語の研究の黒田壽郎や牧野信也、ベトナムや中国の歴史研究の川本邦衛や竹田龍児、言語社会学の鈴木孝夫、インド洋・アラビア海の海洋貿易研究の家島彦一などの研究者を輩出し、現在では嶋尾稔がベトナムの近代史研究や現地調査を行なっている。刊行物には井筒俊彦の英文著作やベトナムの歴史史料の翻刻があるが、人類学関係ではMatsumoto,N and Mabuchi,T(eds.),Folk Religion and the Worldview in the Southwestern Pacific1968が重要で、1966年に開催されたThe Eleventh Pacific Science Congressに提出された報告を松本信廣と馬渕東一が編集した民俗宗教と世界観に関する論文集で、綾部恒雄、岩田慶治、Jan van Baal,Lorenz G,L?ffler,Georges Condominas,William A.Lessa,Josef Kreinerなどの論文を掲載する。特に馬渕東一の論文「琉球世界観の再構成を目指して」は日本の人類学に初めて象徴論を導入した論文である(邦訳は『馬渕東一著作集』第3巻、社会思想社、1974、所収)。なお、本研究所には、柳田文庫があり、1944年5月に柳田國男が寄贈した本とノート、及び西脇順三郎に柳田が個人的に恵贈した書物が保存されている。主に方言と民俗に関する文献とノートである。

Bアート・センターと斯道文庫
 アート・センターは、1993年に開設され、現代社会における芸術活動の役割をめぐって、理論研究と実践活動をひろく展開している(http://www.art-c.keio.ac.jp/)。毎年1回はアジアに関する催し物を企画し、文化人類学関係では、「西ジャワの伝統音楽を聴く・語る」(インドネシアのトゥンバン・スンダ)1997、「済州島の民俗芸能を見る・語る」1998、「蔵族(チベット族)民俗芸能の夕べ」1999を開催した。

 斯道文庫は国文学や書誌学の研究所であるが、かつては松本隆信が中世の本地物や御伽草子の研究を精力的に進めた。所蔵史料も豊富で神仏習合や民俗社会のあり方を知る上で欠かせない。奈良絵本や寺社縁起の古いものなども所蔵している。小松和彦もここで中世の知識を身につけて文化人類学的に絵巻物を読み説く方法を身につけた。現在の専任者のうち大沼晴?は、国文学専攻に出講して、近世の民間医療、旅日記、民間信仰などの庶民史料を読みこなして、歴史学と民俗学を結合させる試みを行なっている。日本常民文化研究所や武蔵野美術大学の神野善治とも交流がある。常民文化研究所は大学の西方裏手の旧渋沢邸に置かれており、宮本常一がここを根拠に活動していたが、その後マンションに立て替えられてその一室が事務室になった。経済史で知られる速水融(経済学部名誉教授)も所員であった。ここは民具学会の活動拠点ともなって『民具マンスリー』の発刊にあたった。現在は常民文化研究所は神奈川大学に移転している。この部屋には一時期、日本民俗学会の事務局が置かれ、現在では日本文化人類学会(2004年4月1日付けで日本民族学会から改称)が保谷から当地に移転して事務局とし、渋沢敬三との縁が深い。

U、学生はなぜ、なにを期待して人類学を学ぶか、どのように学ぶか、学んでどうするか?

 学部では、文化人類学の学説の研究や民族誌の読み込みや作成などよりも、現実に起こっている身近な事例を研究する傾向があり、考現学や風俗学の領域に及ぶことが多い。学部において繰り返し取り上げられる主題としては、民族問題、脳死・臓器移植、ホスピス、外国人労働者、在日韓国朝鮮人などがある。文化人類学や日本民俗学を専門に研究するというよりも、指導教授の個性に合わせてゼミを選択し、かなり自由に主題を選ぶ傾向がある。就職は様々で、特に文化人類学との強い繋がりがあるわけではない。

 大学院の修士課程では自分の目標が何かを明確に判断している者はさほど多くない。調査をすることで目覚めるか、専門論文をかなり読んだ時点で気づくことが多い。学部の専攻が様々なので、文化人類学の基礎的な文献に眼をとおしていない。古典よりは現代のもてはやされているものを追いかけて、結局は何をしたらよいのかわからなくなる。修士論文にはフィールドワークを踏まえた事例研究が多いが、2年間ではやや無理かと思われる傾向がある。後期博士課程の入試は、内部進学者に関しては語学の試験を免除して、修士論文の評価と面接で合否判定を行う。論文重視で、修士課程と後期博士課程の連続性が強まっていると言える。

 後期博士課程では、研究主題は文化人類学や民俗学に限定され、宗教にからむものが大半を占めるようになる。但し、国立大学・公立大学の大学院博士課程へも進学しており、東京大学・一橋大学・首都大学東京などに在籍者がいる。その理由はフィールドの違いや将来の就職可能性の高さを求めてである。研究者として大学などへの就職を希望する者が多いが、質の高い現地調査をどれだけ行ったかによるといっても過言ではない。
 慶應義塾大学の研究と教育について、以下の点を評価として指摘することが出来よう。

長所
  1. 学部との接合がゆるいので、系統の異なる学問を学んだ者が相互に刺激を与えあえる。
  2. 学部段階で人類学以外の学問の訓練を受けることで、理論や方法論を使って調査資料をまとめあげる能力を養え、収集した大量の調査資料に方向性を与えうる。
  3. 総合大学のよさとして、経済学・法学・政治学・歴史学・教育学・心理学・哲学・倫理学・文学など、異なる分野の専門家に相談することが容易である。
  4. 研究所の共同利用やプロジェクトの活用によって視野を広げられる。
  5. シンポジウム、講演会、研究会が数多く開催されるので刺激がある。
  6. 先輩後輩の協力関係を生かしたフィールドワークが行える。継続して同じ地域を調査する伝統があった。これによって次第に共同調査から単独へ移行する契機を作れる。
問題点
  1. 文化人類学の基礎文献を読みこなしていないので、共通基盤が確立されない。
  2. 多様な専門教育を受けた者が寄り集まるので研究方法や目的が拡散する傾向がある。
  3. 人類学の多様性にとまどい、どこに自己の基盤をおくのか迷うことがある。これには現代社会において人類学的な研究課題を設定することの難しさもからんでくる。パイオニアワークの不在が問題である。
  4. 理論化の訓練や方法論の活用が不十分な場合があり、記述に留まる傾向が見られる。
  5. 個々のフィールドワークの徹底化が不十分である。これは調査を教える手作りの作業が消えたことにも原因があるのかもしれない。
  6. 調査資金の捻出にどのように対応するか。恒常的資金不足の問題がある。特に日本の国内でのフィールドワークに関わる。
  7. 文献だけで論文を書く状況が生まれてきており、その長所短所の見分けが難しい。
今後の課題
  1. 大学の個性や培ってきた伝統を生かすことが大事と考える。人類学と民俗学の接合、地域研究の蓄積、宗教人類学への特化、長期プロジェクトの活用などが望まれる。
  2. 調査に奥行きを与えるために文献を活用したり、歴史を取り込むためのノウハウの蓄積が必要かもしれない。史料の読み込みなどは未だ不十分である。
  3. 古典的な基礎教養として、文献を広く深く渉猟することが少ない。幅広い教養をフィールドワークという人生体験に結びつける可能性を広げる。
  4. 自己の調査地や地域を持ち、徹底した調査を継続的に行い、良質でオリジナル・データを集めることに意欲に燃やす研究者が少なくなってきている。
  5. 人間関係のネットワークと情報収集能力の構築に関わることが大きい。努力と個性の問題でもある。

V、博士論文・修士論文一覧

 鈴木が担当するようになった1986年以降の博士論文と修士論文の一覧を掲げておく。修士論文は文化人類学、社会人類学、民俗学、宗教学に関するものが大半で、博士論文は宗教人類学か宗教民俗学に限定される。この内容から慶應義塾大学における文化人類学の再生産がどのように行われてきたかを知ることが出来る。

W、卒業論文一覧

 鈴木が文学部社会学専攻のゼミで担当した1986年以降の資料である。一貫して多岐 にわたる主題が選ばれている。

 

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